【橋本英也】パリ2024オリンピック日本代表候補選手/チームインタビュー
【橋本英也】パリ2024オリンピック日本代表候補選手/チームインタビュー
パリ2024オリンピックに出場する、日本代表候補に選出されたチームブリヂストンサイクリング選手へのインタビューです。
橋本英也はチーム在籍7年目。前回の東京2020オリンピックにも男子オムニアムで出場しています。車好きで、楽しいことが好き。常に笑顔を忘れずに、それでいて鋭い走りで好成績を収め続けてきました。
その橋本のこれまで、オリンピックについて、自転車について、そしてチームについてのさまざまを聞きました。
橋本英也 パリ2024オリンピック出場に向けたインタビュー
はしもと えいや/1993年12月15日生・岐阜県岐阜市出身ブリヂストン・アスリート・アンバサダー >>アンバサダーページ
・パリ2024オリンピック 出場種目:男子チームパシュート、男子マディソン
・東京2020オリンピック 男子オムニアム出場 15位 >>レースレポート
公式プロフィール >>【選手紹介2024】橋本英也 プロフィール
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ーー自転車競技に関わるようになったきっかけ、エピソードは?
まずトライアスロンです。親がトライアスロンをしていて、ロードバイクっていう競技用の自転車が身近にあったっていうのが、自転車に関わるようになったきっかけかなと思います。
小学校2年の時にトライアスロンに初めて出て、中学生の時、トライアスロンのために親がロードバイクを買ってくれました。しっかり自転車をやろうと思ったのは中学生の時でした。
ーーそれまではどんなスポーツを?
いろいろやってました。水泳は習ってましたし、空手やラクビーもしていました。でもスポーツは得意な方ではなかったです。水泳は好きだったんですが、学校の休み時間は外で遊ぶよりも、読書している方が多かった。
ーーそこからどんなふうに自転車に?
中学生になって、自転車をやりたいと思ったんですよね。
当時『岐阜国体に向けて選手を強化する』というプロジェクトのプリントが、学校で配られました。そこに自転車があったんですが、「自転車はトライアスロンでやってたし、好きだから行けるかも」と思って、始めました。
オリンピックに出たいとか、プロ選手になりたいとかいう憧れから始めたんじゃなくて、小学生の頃自転車が好きだったから、スポーツでやっても面白そうかなと思って始めたのがきっかけです。
ーーその後どんなふうに結果が出てきた?
トライアスロンをしていた時から自転車は速かったんです。中学生になって自転車競技を始めてみても、最初から速かった。それで気が付いたら高校生でインターハイに勝ててしまいました。『4km速度競争』っていう日本独特の競技で、今でいうテンポレースみたいな感じなんですけど。
トラック競技を始めたのは中学生の時だったかな。中学生で競技を始めて、高校1年生で優勝できた。そういう流れでした。
ーー高校で優勝できて、大学でも自転車を、と思って進学した?
今だったら違う選択をしてたかもしれないですけど、その時はもうみんな大学行くか就職かのどっちかだったんですよ。だから大学に進んで競技を続けようってことで、当時自転車が強かった鹿児島の鹿屋大学を選んだんですね。国立ですし、トレーニング環境も良いし、じゃあここがいいなと思って決めました。
ーーそこから競技者としての人生が始まった。大学を卒業してすぐにプロチームに入った?
大学を卒業して1年は個人として活動していました。その後に競輪選手になって、今のチームブリヂストンサイクリングにに入ったという感じです。
ーー自転車競技の難しさと楽しさとは?
難しさは、転んだ時の怪我が大きいことかなと思います。転んだ時の擦過傷とか骨折とかのリスクですね。それに自転車を使うので、不確定要素が多い気がします。ポジションなどの要素があって、体以外の変数が多いですね。それが難しいところは、まずその2つかな。
楽しいところは、やはり乗り物であることですね。僕は車も好きだから、自転車は車とスポーツの間みたいなところがいい。両方の要素があって。それをスポーツにできるのってめちゃくちゃ楽しいなと思います。それは自転車はどこかに行く手段でもあるから、それも楽しい。
ハンドルを握るのが好きなんです。人生でもそう。ハンドルを自分で握って、自分で決断できるのが好きですね。飛行機とか電車で移動するより、やっぱり車とか自転車とかバイクとか、そういう自分でコントロールできる乗り物に乗るのが好きです。
ーーオリンピックを意識し始めたのは?
大学生の時です。この当時、レースのレベルが一つ一つ上がっていったんです。全日本選手権で勝ちました、次はアジア選手権で勝ちました、世界選手権に行きました。そしたら、あれ、次はオリンピックじゃん、ってなって。そこから意識し始めましたね。
リオ2016大会は大学卒業の年だったので、これはうまくいけば行けるいけるんじゃないかなと思って、まずそこで意識しましたね。ただ結果、選ばれなかった。
でも、次すぐ東京2020オリンピックを目指すということは決めていませんでした。まずは競輪選手になるというのが目標だったので、そこを達成して。そこでチームブリヂストンサイクリングに誘われて、次の東京2020オリンピックを、チーム選手として目指してみようかとも思い始めました。
ーー東京2020オリンピックの出場を今振り返ると?
リオ2016から東京2020オリンピックに向けての自分の選択が間違ってなかったってことですよね。リオ2016の後に、競輪選手になろうってなって、気が付いたらまた次の東京2020オリンピックを目指していて、実際に出場できた。
リオで選ばれず、どうしようと思った時からの選択が、東京2020オリンピックに出場できたことでやはり間違ってなかったと証明できたなっていうのがあります。
ーー東京2020オリンピックが終わって、すぐパリ2024オリンピックに向けてという気持ちはあった?
東京2020オリンピックに出場できたのは僕一人だけだったから、次のパリ2024オリンピックでは、みんなが出場できるチームパシュートで枠を取りたいとすごく思うようになりました。そこが大きな違いかなと思います。
ーーパリ2024オリンピックの代表候補選手として選出された時の気持ちは?
パリ2024オリンピックでは、前回の東京2020オリンピックとは違う選ばれ方で、マディソンとチームパシュートでのメダルを目指すことができるのが嬉しかったですね。ただ、嬉しいんですが、ちょっと悲しいというか。チームパシュートでがんばってきたメンバーがオリンピックに行けないのが悲しい、というのがありますね。ちょっと不思議な感覚でした。
ーー乗っているブリヂストンの自転車についての印象は?
まずロードバイクですが、間違いない選択だと思います。すごく扱いやすくていいバイクです。軽さを感じられて、エアロな空力効果もあるフレーム。重量、空力、剛性のバランスがすごく良く取れている、万能なフレームじゃないかなと思っています。
トラックバイクは、東京2020オリンピックの時に戻るんですが、旧型の時から今のブリヂストンのバイクに乗り変えた時は、軽くなってよく走るようになった、という印象でした。これまでのライバルがライバルじゃなくなったような感じでした。
ーー競技中に最も自分の心を支えてくれるものは?
あまりないかもしれないですね。競技や練習が辛い、ってことはあまりないですから。トレーニングやってて、いいトレーニングやって終わったほうが充実していいです。むしろ怪我などをしてトレーニングできないほうが僕は辛いです。
ーーパリ2024オリンピックで最も楽しみにしていることは?
まずレースで結果を出すのが一番楽しみですね。そこが一番重要です。メダルを持って帰るのが第一フォーカスです。
あとは選手村の雰囲気です。東京2020オリンピックは選手村は経験していないので、そこの雰囲気をまず楽しみたいなと思います。いろんな種目の人とも話したいし、いろんな国の選手と話せれば面白いかなと思います。
ーーチームブリヂストンサイクリング加入7年目、チームが自身の人格形成に大きく関わったのは?
まずはレースに出られる環境をもらえる。そして『CHASE YOUR DREAM』、夢に挑戦することができている。僕が目指しているオリンピックメダルを獲るという目標と、チームブリヂストンサイクリングが目指すものが同じ方向を向いていること。これが、とてもいい環境だなと思っています。
ーーこのスポーツを通じて表現していきたいこと、伝えたいメッセージは?
僕は自転車が好きだから、自転車をいろんな人に見てもらいたいなと思っています。自転車って移動手段で、通学とか移動することでみんなが触れているものなんですが、それ以上に、自転車っていうのは何でもできる。日常的なものでもあるし、スポーツにもなるし、その先にはオリンピックだってある。そういうところを、見てもらいたいですね。
こちらのインタビューもどうぞ
>>『橋本英也 少年の心をいつまでも――僕はとにかく自転車が好きなだけ』
>>『橋本英也 少年の心を忘れずに運命のオリンピックに挑む』
*ブリヂストンサイクルはオリンピックのワールドワイドパートナーです。
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