【太田りゆ】パリ2024オリンピック日本代表候補選手/チームインタビュー

【太田りゆ】パリ2024オリンピック日本代表候補選手/チームインタビュー

パリ2024オリンピックに出場する、日本代表候補に選出されたチームブリヂストンサイクリングの選手へのインタビューです。

太田りゆは、パリ2024オリンピックで、女子スプリントと女子ケイリンに出場します。女性としての華やかさを常に忘れず、しかしレースではその強さを存分に発揮する。これまで、いくつもの壁を乗り越えて、この彼女ならではのスタイルを貫くまでに成長しました。

前回の東京2020オリンピックでは、リザーブとして観客席から本戦を見た太田。しかし、挑戦を続け、オリンピック出場という一途な夢を、ついにパリ2024オリンピックで実現させます。



太田りゆ パリ2024オリンピック出場に向けたインタビュー

おおた りゆ/1994年8月17日生・埼玉県上尾市出身
ブリヂストン・アスリート・アンバサダー >>アンバサダーページ

・パリ2024オリンピック 出場種目:女子ケイリン、女子スプリント
・2024年ネイションズカップ香港大会 女子ケイリン9位
・アジア競技大会2022 女子スプリント3位

公式プロフィール >>【選手紹介2024】太田りゆ プロフィール

⚫︎Instagram @riyuponpon
⚫︎X  @keirin_riyu

ーー自転車競技に関わるようになったきっかけは?

中学校・高校と陸上部で中距離、800m走を専門にしていました。体育大学に陸上の推薦で入ったんですが、金銭的な理由で部活には入らずに大学に許可をいただいて、ジムのインストラクターとしてバイトさせてもらっていました。インストラクターのライセンスも取って、スタジオでレッスンもしたし、マンツーマンでパーソナルのトレーニングもしました。鍛えることを仕事にして、一生懸命やりました。大学に行くよりも一生懸命働いていました(笑)。

教員になる勉強をしていて、体育の先生になる予定ではいたんですが、ただ大学2年生ぐらいの時に考えたんです。このまま大学生活を続けて、バイトでいっぱい働いてもこれだけしか稼げないって。家にも金を入れると、本当に自由に使えるお金っていうのがなくて。社会人になったらもっと自由になるかと思いきや、初任給を見てもたいして変わらない。そう思うと、このままやってても違うなって思いました。

身近な先輩に、すでにガールズケイリンの選手として走っている方がいました。大学の先輩なんですが、その時、普通の体育大学生というより、アルバイターだった私は、ただただそのガールズケイリンの先輩を生で見て話が聞きたくて、講演に行きました。そういった中で、私がお金を稼ぐために一番最適にできる方法だと思ったのが競輪選手でした。

でも競輪学校だってすぐに受からないかもしれないし、受かる自信もない。自転車に乗ったこともなかったし(笑)。自転車に乗ったことすらないのに競輪選手になれる、私はそこで稼げるって思ったのが謎ですけども。なぜか自信だけはありまして。

それで、もう卒業まで待つ必要ないと思って、思い切って大学3年生の時に適正試験を受けたら受かったんです。それでそのまま大学は休学して、あれよあれよという間に競輪学校に行って。それで競輪学校に入ったら、その期間にブノアとジェイソン(日本ナショナルチームの首脳コーチたち)が来日して、選手養成部門に選んでもらったんです。

そのまま訳も分からずナショナルチームのみんなと一緒に練習させてもらい、競輪学校の在学中にナショナルチームのセレクションに受かって、競輪にデビューする前に、アジア選手権に出場しました。それが初めての自転車競技です。自転車乗り始めて9ヶ月ぐらいで、日本代表のユニフォームを着させてもらったっていう感じでした。

ーー自転車競技の難しさと楽しさは?

日本ナショナルチーム員を始め、レースに出場する各国の選手には、たぶんみんな才能があります。でもその中で、どう努力してどうがんばり続けてきたか。うぬぼれず、がんばり続けられる人こそが、日本代表になれる。そこがすごく難しいって、何年もやってきて思いました。ナショナルチームに入るところまではトントン拍子でしたけど、その先はすごく難しかった。上には上がいる中でやり続けるっていうところが、プロのアスリートは難しいなって思っていますね。

その中で私が感じる楽しさは、家族でもなくつながりもないたくさんの人たちに、応援してもらえるっていうところです。

それに走りのスピード感。かなりクレイジーだと思うんですけど、その中で、普通の自分とは違う心境になってレースをして戦うっていうのが、自分がハマっているところです。

そして自分自身今までできなかったことができるようになる瞬間も楽しさの一つかなと思います。それに勝った時の嬉しさ、あれはもうクセになりますよね。もう一生競技なんてやらない!って思う時もありますけど、やっぱりなんかクセになっちゃう楽しさはあるかもしれないと思っています。

ーーオリンピックを意識するようになったのは?

競輪学校に入る前、自転車にすらまだ乗れないとき自分の競輪選手の師匠に「もし機会があるんなら、私は競輪選手じゃなくて日本代表になりたい」って言ってるんですよ。その段階から日本の代表になることに興味がありました。

それで競輪学校に入ってみたら、周りにジュニアのジュニアの日本代表をやってる子たちがいて。楽しそうだな、いいなとか思っていたら、選手に選ばれて、アジア選手権に出て、周りにはオリンピアンがたくさんいて。自分にもできる道筋が見えて、そういうふうに徐々にオリンピックを意識し始めたと思います。


ーー東京2020オリンピックが終わり、パリ2024オリンピックに向かった気持ちは?

コロナ禍でリザーブをやる期間が1年間あって、その中でいつオリンピックに呼ばれてもいいように準備をしていたんですよね。そしたらその中でタイムも上がるし、成績もちょっとずつ出てきた。もうちょっとやっていたらできるかもなって思うことが段階的にありました。

東京2020オリンピック終わってから1年くらいは、『絶対にパリ2024オリンピックに出るんだ!』とは思っていなくて、ダメだったらやめよう、ぐらいの開き直った気持ちでやっていたら、走りも良くなっていきました。

東京2020オリンピックを見た時は、私は観客席にいたんで、やっぱりこの場で走りたかったなーとか、次は出たいなーとか、やっぱりオリンピックは難しいんだなーとか、お客さんはこういうふうに見てくれてるんだなーとか、いろいろ感じました。東京2020オリンピックは、がんばる原動力にはなったかなと思います。

ーーパリ2024オリンピックの代表候補選手として選出された時にはどういう感情があった?

決まった瞬間はほっとしました。自分がやるべきことがやっと定まったし。すごく楽しみというか、なんか鼻から息が通って呼吸がしやすくなって世界が明るくなりました。自分にとってのゴールが初めて見えた。初めてやっと、エイって違うところに進んだっていう感じがありますね。

ーーパリ2024オリンピックで一番楽しみにしていることは?

自分がリザーブだった時に客席から見たオリンピックの雰囲気を、走る側で体験できるのはすごく楽しみです。しかもフランスは、自転車競技への興味が素晴らしいので、その中で自分が選手として走れるのはすごく楽しみですね。

ーーチームブリヂストンに加入してから変わったことは?

私はもうデビューしてからずっとほぼ、チームブリヂストンです。2017年の7月に競輪選手デビューしたんですが、チームに入ったのはそのちょっと後ですね。それに、私はずっと上尾市のBS通り(ブリヂストンサイクル本社前の通りの通称)で育ってきたんで、すごく運命を感じてます(笑)。

やっぱりチームブリヂストンに所属していたからこそできた経験がたくさんあって、それがすごく良かったです。あと、似顔絵を描いてもらう時に、みんなすんなりこのブリヂストンのユニフォームを着た時の絵を描いてくれるんで、やっぱり印象も強く持ってもらってるかなって思います。これ以外のユニフォームは、似合わないかもしれないですね(笑)。

ーー乗ってきたブリヂストンの自転車についての印象は?

それこそ自転車は、プロになってからブリヂストン一筋で乗ってるんで……。ロードは比較対象がないので、なんて言ったらいいんだろうな、ずっと乗らせてもらっている相棒、私の乗り物っていう感じがしています。すごく乗りやすいですよ、それこそガールズケイリンだってブリヂストンで走ってますし。私はあまりロードは得意じゃないんですけど、機材のおかげで強くなっているんじゃないか、なんて思います。だからやっぱり、ブリヂストンの機材をお勧めしたいところです。

トラックも、やっぱりウォーミングアップなんかは、乗り慣れたブリヂストンの方でします。ブリヂストンの自転車は何年も乗ってきた愛車です。


ーー自転車競技を続ける中で自分の心を支えているものは?

まずオリンピックに出たかった、というのが一つの軸です。その中でチームブリヂストンだったりナショナルチームだったり、友達たちや家族に支えてもらったことです。ダメな時も含めて支えてくれる人が、この何年かですごく見えました。選手としての私を大事にしてくれる人もたくさんいれば、別に負けたって、りゆはりゆでいいんだって言ってくれる人もいます。そういうことを言ってもらえて、それは本当に支えになりました。仲間がたくさんいて助かった部分はすごく大きいと思います。

ーーこのスポーツを通じて表現したい、伝えたいことは?

えらそうなことは言えないですが、諦めないでコツコツちょっとずつ進んで、止まらない。諦めずにやることっていうのは、私が実際やってきたことかなって思っています。やり続けたことによって違う場面でも得られるものがあると思います。私がそうしてきたから自分も頑張れた、って言ってくれる人もいましたし。それが大きいですね。

ーーこれから実現する、オリンピック出場に対する想いは?

浮き沈みが結構激しい私が、みんなにもすごく心配をかけて、やっとつかみ取ったスタートラインというかチケットです。一人でやってきたんじゃない、一人で強くなってきたんじゃないという気持ちをすごく感じています。

自分もがんばってきて、みんなにもすごく支えてもらったこのオリンピックでは、今までで一番いい形で走りたいし、その結果何かがついてきたら嬉しい。自分が一番ベストな形で走ることが、ここまで支えてきてくれたみんなに対する、恩返しのようなものだと思っています。


こちらのインタビューもどうぞ

>>太田りゆ 「強く、優しく、美しく」私にはまだまだやりたいことがいっぱいある

>>太田りゆ 「夢」から「明確な目標へ」自己を見据え、東京2020オリンピックに集中する

*ブリヂストンサイクルはオリンピックのワールドワイドパートナーです。

最新記事

Article

前の記事へ